SNSへのお気持ちと『偶然性・アイロニー・連帯』

Blueskyにやってきて

2024年の2月にBlueskyにやって来てから半年以上が経過した。今の所いい感じにゆったりやれてると思う。

それまではXで読書アカウントを3ヶ月ほどやっていたが、憎悪をかき立てる投稿が洪水のように流れてくるおすすめ欄に辟易していたところ、某漫画家の死が決定的な契機になってこちらに移動してきた。誰かが傷つくところを間近で見るのはしんどい。

当時はXから別のSNSに移動しようとするムーブメントが活発で、移行先をどこにするかでもちきりだった(miskey, bluesky, threadsがよく挙げられていた)が、今はすっかり落ち着いたように思う。

結局、Xに残り続ける人が大多数という結果になったのは予想通りではあったが、同時に世間に少し失望した。

たしかに、Xがこれまで蓄えてきた情報資産や人口による広告効果、災害情報などニュースの取得を考えると移動するデメリットが大きいのも理解できる。
ただ、自分は不満を感じながらも妥協してそこに居続けるのが許せなかった。悪意が蔓延し、それを抑止しない邪悪なプラットフォームには態度で示すことで反抗すべきだ。
おそらく、自分は思想的に潔癖なのだと思う。

Xに対する感情は、半年以上も離れているとあまり気にならなくなった。ひとつ気がかりがあるとするならば、3ヶ月とはいえ交流のあった尊敬できる読書家が何人かいて、その人たちと断絶してしまった寂しさは少しある。いつかまた巡り会えるといいな。

偶然性・アイロニー・連帯

2024年2月当時、NHKの100分de名著にて「偶然性・アイロニー・連帯」が放送され、虐殺器官が引用されているという情報にまんまと食いついてテキストを読んだ。これが想像以上に今のSNSを語る上で刺さる本だった。
特に「バザールとクラブ」の比喩は現状のSNSを表していて、「Xはまさにバザールだ!」となった。
クラブに相当するのはDiscordなどの閉じたコミュニティなのだろうが、村社会になるのが目に見えているのでそれはそれで息苦しい。
現状のBlueskyはほどよい落ち着きを見せていて、バザールとクラブの中間地点的な居心地の良さを感じる。
いつか人口が増加して活発になればここもバザールになるのだろうが、そのときはそのときで別のSNSを渡り歩けばいい、と気楽にとらえてもいる。

とはいえ、blueskyは情報量や活気の面で物足りなさを感じるのも否めない。
Xから距離を置き、テレビも持っていないので最近の世間事情に疎くなった。仕事でも雑談がほぼないし。今オリンピックやってるんだっけ?

話しかけてくれる人たち

Blueskyに来て思うのは、わざわざ自分に話しかけてくれる穏やかで親切な人が多いということ。
自分はSNS歴が浅いのもあってなかなか距離感がつかめず、うまく返せていないな〜と思うことも少なくない。
現実の会話ではむしろ自分から話しかけるほうなのだが、SNSだとぎこちなくなってしまうのは不思議だ。身振り手振りや表情などのごまかしが効かないからか。
話しかけてもらえるのは正直うれしいしありがたい。なぜだかいつも自分は周りの人に恵まれていると思う。感謝。

ということで、これからもゆるく続けていきたい。